木々が生い茂る境内を歩くと、600年前から変わらない風が吹き抜けてゆきます。何百万人、何千万人という人がここを訪れ、頭を垂れ、祈り、手を合わせたのでしょうか。四季折々の花が咲き乱れ、私たちの目を楽しませてくれます。優美で瀟洒な歴史的建造物が立ち並び、静寂な時がゆったりと流れています。
約33万㎡ 東京ドーム約10個分と広大で、建造物数は25棟、拝観ポイントは40ヶ所あります。歴史の散歩道となっている境内は、石段を登ると伊東忠太氏設計の山門があり、金剛力士像がどっしりと構えています。重厚な入母屋造りの本堂、黄金に輝く「秋葉総本殿」の扁額が美しい、日本で唯一、三尺坊様のご真躰を安置する御真殿。放生池の中央には魚籃観音像が立ち、石畳の道を息を切らして登りきると「東の靖国、西の護国塔」と広くその名を轟かせる白亜の護国塔がそびえ立っています。山の石段を登り、谷を降り、放生池と呼ばれる大きな池をまわり、木々の緑や苔むした石塔に歴史を観る。境内をすべて周り、史跡、見どころを回ると数時間は必要となります。広大な敷地を持つ可睡斎には四季折々の自然と美しい光景が広がっています。
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本堂(法堂)
重厚な入母屋造りの本堂は、明治の中頃に冨里(旧浅羽町)の松秀寺から移築したものです。向拝の軒下や梁の上には、美しい装飾彫刻がなされています。本堂では、朝、昼、夜のお勤めを365日休むことなく行っています。
御真殿(ごしんでん)~秋葉総本殿~
秋葉総本殿である御真殿に向かう階段の途中の両脇には、天狗像が睨みをきかせています。御真殿は、1300年の歴史を持つ秋葉三尺坊大権現様の御真躰を祀る火防の総本山です。向拝には、有栖川宮幟仁親王による「秋葉総本殿」の扁額が黄金に輝いています。拝殿には、数々の天狗の面や、掛け軸、徳川家康公と仙隣等膳和尚の「睡る可し(ねむるべし)」の一場面を描いた絵が飾られ、全国から火防や幸福を願う多くの参拝者が絶えません。一般の方の御祈祷も受け付けています。365日休むことなく、朝、昼、夜のお勤めを行っており、その声は境内に響き渡ります。>「秋葉総本殿」の詳しい情報はこちら
僧堂(坐禅堂)
入母屋造桟瓦葺の僧堂は、凛とした雰囲気が漂います。雲水が畳一畳で寝泊まりする修行の場でもあり、中央には僧の形をした文殊菩薩様が坐禅を行う人々を静かに見つめています。宿泊をすると、朝5時から雲水達と一緒に坐禅体験ができます。
山門
建築界の重鎮であった伊東忠太氏により設計された山門です。昭和10年(1935年)に設計された設計図をもとに平成22年(2010年)に完成しました。山門両脇に鎮座する金剛力士像の阿形像と吽形像は、憤怒の相をしています。山門をくぐりぬける前に上を見上げると、梁に阿吽の獅子が二対顔を見合わせています。屋根部分には、大の妖怪好きでもあった伊東忠太氏の、遊び心あふれる表情豊かな妖怪たちが並んでいます。
護国塔
「東の靖国、西の護国塔」とその名を広く轟かせている白亜の護国塔は、明治44年(1911年)建立の高さ17.1mの鉄筋コンクリート造りで、人造石流出し仕上げの円形ドームがとても美しく、青い空によく映える塔です。日露戦争の戦死者の霊を祀るために建設されたもので、設計原案を伊東忠太氏が、施工管理を佐野利器氏が担当した文化的な遺産価値があるものです。当時、国内ではほとんど施工例がなかったコンクリート造りに踏み切った彼らの先進性と決断が貴重な近代建築の慰霊碑となっています。インドのガンダーラ様式を取り入れていて、南面は花崗岩が積まれています。石段を16段登ると、塔の二重基壇上に出ます。正面入り口には柱頭の三方に馬頭を模したエンタシスの柱が左右に立ち、ドームから突き出た小屋根をどっしりと支えています。可睡斎では、毎年8月末に全国護国大慰霊祭を行っています。静岡県指定有形文化財(昭和53年3月24日)です。
輪蔵堂
露盤宝珠を乗せた八角堂である輪蔵堂の中には、大きな輪蔵があります。輪蔵を、ゆっくりと時計回りに一回転させると「大蔵経」を読んだことと同じ功徳を得られるとされています。輪蔵堂の最奥には、転輪蔵の創始者である傅大士の像が祀られています。傅大士は俗に「笑い仏」と呼ばれ、主に経典や書物を保管する経蔵に祀られています。平成18年(2006年)の伽藍修復工事の一環で移築した際、建設当時の棟札が発見され、四十八世日置黙仙禅師の発願により、大正8年(1919年)に四十九世秋野孝道禅師が上棟と判明しました。
出世六の字穴
戦国時代、三方原の戦いで武田信玄率いる武田勢に追われた徳川家康公が、可睡斎の洞穴に隠れて命拾いをしたと伝えられる洞穴です。その後、徳川家康公は国を平定し、天下泰平の世を作ったという出世の故事になぞらえて、出世六の字穴と呼ばれるようになりました。六の字とは、六観音(正観音、千手馬頭、十一面、準胝、如意輪)から名付けたものと言われています。歴史のドラマを感じる不思議な洞穴です。内部は数字の6の字の形状をしており、ぐるりと回る穴となっています。現在入洞は禁止となっています。
地蔵堂(旧東陽軒)
可睡斎に入る総門の手前の参道脇に立つ、一見可睡斎に関係のないようにも思えるひっそりとした入母屋造瓦葺の地蔵堂。五世太路一遵が如仲天誾禅師について出家し、久野城外の松樹下の大通庵を探り当て、坐禅をしていたところ、毘沙門天から奇瑞を感得し、お告げ通りお堂を建て、東陽軒と名付けました。これが可睡斎のはじまりと言われています。現在は、修行僧達が可睡僧堂へ上山するために、旅装を整え、決意を固め直す大切な場となっています。
位牌堂
檀家のご先祖様、戦死病没、可睡斎縁りの方々の霊が、観音様に守られてお祀りされています。故人を供養するための大切なご位牌を安置する位牌堂です。厳かな雰囲気の中、僧侶や雲水が、毎日心を込めてお勤めを行っています。
奥之院
御真殿の右手にある細い石畳を登っていくと、見晴らしのよい開けた場所に出ます。瑞龍閣の屋根瓦と、袋井の町並みを眺めてひと休み。階段を登ると右手に六の字穴、左手の奥に進むと、奥之院が見えてきます。可睡斎最奥にある奥之院は、周囲を山林に囲まれた厳かな静寂の中に佇んでいます。奥之院には、真言行者を守護する不動明王様が祀られています。怨敵退散・災難即滅の功徳を持ち、背負っている大火焔は、一切の煩悩魔障を焼き尽くすことを顕しています。
総門
堂々たる総門は、禅宗寺院では珍しい高麗門の様式で、檜の本柱2本と控柱2本からなり、本柱上に立派な切妻屋根と、控柱に小さい切妻屋根がかかっています。控柱の足元には、秋葉三尺坊大権現様に因んで天狗の羽団扇と呼ばれる八手の杢が施されています。先の総門は、2018年9月末の台風により倒壊しましたが、2019年11月に曹洞宗の名刹、総持寺の総門を参考に2019年11月末に再建されました。
開運大黒天(大黒殿)
大黒様は、インドのシバ神の化身で、戦闘神でした。しかし、大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合して現在のような柔和なお顔になったと言われています。七福神の一人であり、五穀豊穣、商売繁盛など商売の神、勤勉と財宝を授ける福徳円満な福の神として信仰されています。
おさすり大黒
山門をくぐった右手に、大きな笑みを浮かべたおさすり大黒様がいらっしゃいます。大黒様は、富貴への願いに応えることを誓願としています。参拝者が、「ひとさすりで福を招き、ふたすりで徳を授かり、みさすりで満足を戴く」と丁寧に撫でるので、大黒様のお腹が光って見えます。
酒塚観音
総門をくぐって左手の森の中の小さな石段を登り、迷い込みそうな道の奥にある酒塚観音は、酒樽に座った珍しい観音様で、とある熱心な信徒の方がお酒の功徳に感謝し、その報恩として建立されたものです。毎年4月29日に酒塚観音大祭が行われ、お酒のたっぷり入った酒樽を運んで積み上げ奉納するという全国でも珍しい法要が行われます。
井伊直勝の墓
国宝である彦根城を築城した井伊直勝の墓です。井伊直政の息子である直勝の墓は、今はひっそりと位牌堂横の森の中、小さな階段の奥に祀られています。
井伊直好の墓
直勝の長男、直好の墓は、水行池の手前を右手に折れ、木々の間を抜け、二手に分かれた道を左に登ったところにある、西来意と呼ばれる五輪塔です。直好は掛川藩の初代藩主で、掛川城の城主となりました。
活人剣
明治28年(1895年)日清戦争の講和条約調印のため来日していた李鴻章が、暴漢に襲われた時、軍医総監の佐藤進氏(第三代 順天堂堂主)が治療したことでご縁となり、明治33年(1900年)に六の字穴の前に建てられました。太平洋戦争時に剣の部分が供出されたため、順天堂大学等の協力により平成26年(2014年)に、東京藝術大学学長宮田亮平氏が手掛けた新しい活人剣が山門の左側に再建されました。
<活人剣>
<活人剑 ~简体中文~>
<Katsunin-Ken~English version~>
The Origin of Katsunin-Ken (a healing-sword)
可睡斎は寺院内の拝観(有料)も可能です。静寂な諸堂内を歩くと、三つ葉の葵の紋が見事な徳川家の御霊屋がある本堂、日本一のトイレとして有名な大東司、雲水達の修行の場である僧堂、山口玲熙画伯が40年かけて完成させた天井画や襖絵が美しい瑞龍閣を拝観することができます。すれ違う人々と静かに会釈を交わし合い、微笑み合うと、脈々と受け継がれてきた可睡斎の懐の深さを、感じ取る事ができるでしょう。可睡斎は、365日、あなたの御来山をお待ちしています。 >拝観のご案内へ